本サイトはアフィリエイト広告を利用しています
「『ノースコリア』と言って互いに冗談、護送車内は小便臭…惨状だった拘束当時の様子」
アメリカで拘束されていた我が国の労働者たちの、拘束当時の惨状が労働者たちを通じて伝えられた。想像していたよりはるかに劣悪な状況であり、人権侵害の余地も大きいと伝えられている。
15日、聯合ニュースによれば、労働者A氏の拘束日誌には7日間拘束されていた当時の環境や人権侵害の状況がそのまま記されている。A氏は合法的なB1ビザ(出張などに用いられる短期商用ビザ)で米国に入国したが、出張中の業務ミーティングや研修のために訪れていた2か月の間に、ケーブルタイで手首を縛られて逮捕された。
米国移民税関取締局(ICE)は4日午前10時ごろに押し入った。彼らは安全帽と作業靴を着用した労働者たちを第一にボディチェックした。A氏は身分証やパスポートも持てなかった。ICE職員たちは午後1時20分ごろ、外国人逮捕令状に関する書類を配り、空欄を埋めるよう指示した。
この過程で書類の説明も、「ミランダ・ワーニング(黙秘権等の告知)」の告知もなかった。威圧的な雰囲気のため、一行ずつ英語を解釈しながら書類を作成するような余裕もなかったという。
A氏は「労働者たちはこの紙に記入すれば釈放されると思って提出した」と記しており、書類提出後に手首に赤い腕輪がはめられたという。
その後、職員たちは書類を提出した労働者たちの荷物を取り上げ始めた。玉ねぎネットのような袋に携帯電話などを入れるよう強要した。A氏は9時間以上待たされ、手首にケーブルタイがきつく締められたまま護送車に乗せられた。先に行った者たちは腰、脚、手首まで鎖でつながれて移送された。
護送車の内部には便器があり、小便臭が充満していた。冷房もつけてもらえなかった。
理由も分からぬまま連れて来られた労働者たちは、拘束初期に72人部屋の仮施設に押し込められた。1号室から5号室まであり、拘束者たちは部屋を移動させられた。並んだ二段ベッドと共用の便器が4つ、小便器が2つあった。時計もなく外も見えなかった。寝具のマットにはカビが生えていた。
足の踏み場もない空間で生理現象(排泄)を済ませるのは容易ではなかった。便器の横にはかろうじて下半身を覆う布があっただけだという。A氏は生理現象を我慢してしのいだと記している。A氏は「生活必需品やタオルも支給されずに眠りについた」「知人がタオルを1枚くれたのでそれで体を覆って寝た」と書いた。
仮の空間があまりに寒く、労働者たちはタオルを体に巻いていた。一部は電子レンジでタオルを温めて体を温めたという。提供された水は臭いがしたとされる。その後、歯磨き粉、歯ブラシ、毛布、デオドラントなどが支給された。
なんとか耐えていた拘束3日目の6日にICEの面接が始まった。まずICE職員らは「自発的出国書類」を配り署名するよう求めた。多くの拘束者は「不法」という言葉で埋められた書類に不安を覚えながらも、とにかく署名した。
長時間待たされていたA氏は3日ぶりに初めて外気を吸いながら面接場所へ移動した。両手の指紋を取られた後、ICE職員2名がA氏の書類を確認した。彼らの最初の質問は「何の仕事をしていたか」だった。A氏は業務ミーティングや研修のための出張だと答えた。
その後、特に別の質問はなく、職員は「サウス コリア(South Korea=南朝鮮)か」と尋ね、A氏が「そうだ」と答えると、職員らは笑いながら会話し、「ノース コリア(North Korea=北朝鮮)」「ロケットマン(トランプ大統領が金正恩に付けたあだ名)」などと言及した。
A氏は当時の様子について「私をからかって冗談を言っているようで腹が立ったが、書類で何か間違いが起きるかもしれないと恐れて我慢した」と日誌に記している。
面接の終わりにA氏は「私は適法なB-1手続きで入国し、その目的に沿った行為をしていたのに、なぜ逮捕されたのか」と問うたという。すると職員は「私も分からないし、上の者たちは違法だと思っている」と答えたという。ある職員は別の拘束者に対してICEの誤りを認める発言をしたとも伝えられている。
拘束4日目の7日、総領事館および外務部の職員4名が拘束者たちに会った。総領事館側は「みなさんはまず家に戻ることが最も重要だ。ここで言われたことに無条件でサインしなさい」と述べたとA氏は伝えた。また、紛争が起きれば最低4か月から数年にわたって拘束状態が続く可能性があると強調したという。
また、署名すれば強制出国されビザは取り消され、チャーター便で帰国させられる予定であることを案内したという。A氏はその夜11時ごろ、4日ぶりに正式な入所手続きを受けた。囚人服に初めて着替え、身長、体重、血圧などの健康チェックを受けた。
午前3時ごろ、A氏は2人部屋に割り当てられた。該当建物には50の部屋があり、各部屋に便器と机、二段ベッドがあった。5日目の8日にも外務部の職員らが拘束者たちに会った。
A氏は「B-1ビザで入ったことがなぜ不法なのか理解がつかず腹が立った」「自発的出国書類に署名した後、我々をとにかく送ることにだけ集中しているように感じ、呆れて腹が立った」と記した。
その後は別の情報もなく待機が続いた。いつ出るのかの説明もなく、予定より釈放が遅れ拘束者たちの神経は極度に尖った状態だった。結局、労働者たちは11日未明1時ごろからアトランタ空港行きのバスに乗り、地獄のような拘束施設を離れることができた。
引用元記事:https://n.news.naver.com/article/021/0002736447?ntype=RANKING
